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お正月が終わる節目の日、二十日正月
お正月
 
一月(睦月)
 

お正月が終わる節目の日、二十日正月

お正月は仕事も休んで家族・親戚集まってお祝いするという人も多いでしょう。お正月は今でも大きなイベントですが、お正月の終わりのイベントは今ではあまり大々的に行われなくなっています。お正月の終わりのイベントは、二十日正月です。二十日正月はどのようなものか、そしてどのように過ごすのか、どのような行事が行われるかについて詳しく紹介していきます。

二十日正月とは

そもそもお正月の意味とは?

1年の初めはお正月でお祝いするというのが一般的です。では具体的にお正月は何のためのお祝いなのか、実は知らないという人も多いのではありませんか? 近年自国の歴史や伝統、文化について教わる機会が少なくなりました。その関係もあって、お正月の意味合いを知らない人も多いのです。お正月はそもそも歳神様(年神様とも書きます)を迎えてお祝いする行事を指します。日本では山の神様や海の神様のようにいろいろな神様がいるといわれていました。また、歳神様といってその1年間家族に豊作や幸福をもたらしてくれる神様がいます。この歳神様を自宅に招いて、今年1年間、家族が幸せに暮らせますようにというお願いをするのがお正月というわけです。

お正月の終わりが二十日正月

元旦に歳神様がやってきて、お祝いをします。そしてしばらくすると、歳神(年神)様は元いた場所に戻っていきます。ちなみにこの戻る時期が小正月と呼ばれる1月15日のことです。お正月にはお餅などを供えているでしょう。これは歳神様が宿るために供えているのです。歳神様が帰ったら、このお餅やおせち料理などお正月料理をすべて食べ切るのが二十日正月です。文字通り1月20日に催される行事のことで、二十日正月が元旦から始まる一連のお正月のイベントの締めくくりとなるのです。

地域によっては女正月と呼ばれることも

二十日正月は地域によって、いろいろな別の呼称があります。例えば女正月と呼んでいる地域もみられます。お正月に供されるお餅やおせち料理、共通しているのは比較的保存がきく点です。世の主婦は家事をしなければいけないため、お正月でも休むことができないのが問題でした。おせちの準備などをしなければならないわけです。しかし小正月の1月15日から二十日正月にかけて、それまで残っている料理で食事を賄うことができます。つまり女性が休むことのできる時期だったのです。そのような関係もあって、二十日正月の前後を女正月と呼ぶ地域がみられます。地域によっては、この時期は奥さんに休んでもらって、その代わりに家事は旦那さんが行うという習わしのところもあるようです。二十日正月はあまりメジャーな存在ではないかもしれません。来年からこちらの行事を取り入れてみると、いつもとは違った年始を過ごせるでしょう。

二十日正月の行事

お正月飾りをすべてしまう

お正月のイベントの最終日である二十日正月は、年神様がお帰りになる日です。神様がすべてお帰りになるわけですから、お正月の飾り物は全て片付けることです。現代でもしめ縄や門松などを玄関や扉にセッティングしている家庭も多いでしょう。うっかりお正月を迎えた後でもそのままにしている人も多いかもしれません。しかし二十日正月までには飾り物はすべてしまうように心がけましょう。昔はこの20日になると正月気分がなくなって、普段の仕事に戻る感じでした。今は三が日明けの4日から仕事始めという方も多いでしょう。ですから20日にもなれば、お正月気分はすっかり消えている人が大半かもしれません。その前夜の19日、神様が帰るにあたってお供え物をする地方もみられます。具体的には尾頭付きのお膳や小豆ご飯を炊いている地方もあります。

骨正月と呼ぶ地方も

二十日正月は地域によって異なる呼び名をしているところもあるようです。特に多いのが骨正月という呼び名です。地域によってお正月にはブリを食べるところもみられます。ブリは地域によっては正月の晴れの魚という考え方がありました。その縁起の良いブリを骨まで残さず食べることがその年1年間健康に暮らせるという考え方があります。そこから骨正月と呼ばれるようになったわけです。ぶりをはじめとした魚を食べる際に、骨のほかに頭も残るのが一般的です。そこで地域によっては、頭正月と呼ぶ地域もみられます。ちなみにブリをお正月に食べる風習は関西地方で多く見られる傾向があります。そこで先ほど紹介した骨正月・頭正月と呼ばれている地域は西日本が中心です。

もともとの鏡開きの日?

鏡開きといわれると1月11日のことと思っている人もいるでしょう。しかしそもそもはこの20日が鏡開きの日でした。特に武士の家では鎧兜・具足に供えた餅を雑煮にしていました。ちなみに武士の家では鏡開きのことを具足開きと呼んでいたそうです。どうして20日かというと、20日(二十日)は文字を変えて読むと「刃柄(はつか)」となり、武士にとっては縁起が良いとされていました。ではなぜ11日が一般的になったのでしょう? それは三代将軍の徳川家光がなくなった日が関係しています。4月20日に亡くなったため月命日と鏡開きが重なってしまいます。これは好ましくないということで、11日に変更されたのが理由です。