天皇誕生日の意味・由来は? 一般参賀の基本マナー
日本国民の祝日の1つとされる天皇誕生日は、一般参賀者の前に皇族がお出ましになる貴重な機会として知られています。そもそもどのような祝日なのか、天皇陛下が変わると祝日が増える事はあるのかなど、基本的な知識を今一度おさらいしましょう。あわせて、一般参賀の基本マナーや知っておきたい注意点をご紹介します。
天皇誕生日とは
天皇誕生日の意味・由来
祝日法によって「天皇陛下の誕生日を祝う日」として定められた12月23日を天皇誕生日と呼んでいます。国民の祝日とする事が法律によって明記されていますから、12月23日もしくはその日に最も近い平日が休日とされる決まりです。12月23日に最も近い平日が祝日扱いになるルールは、該当日が日曜日にあたる場合に適用されます。いわゆる「振替休日」として次の月曜日が休日になる事は、祝日に関する法律をベースにした考え方と理解しましょう。
歴史的には、奈良時代・光仁天皇の天長節が始まりです。10月13日に天皇が好んだ酒を献上、宴を行っていた記録が残っています。国家の祝日として知られるようになったのは、明治元年に祝った事がきっかけです。それ以降は天皇の即位に合わせて天長節が設定されて、広くお祝いされてきました。1948年の祝日法にて天皇誕生日という名前が使われて、今日に到ります。
歴代の天皇誕生日は?
明治天皇・昭和天皇の誕生日は、祝日として残りました。明治天皇の誕生日・旧暦9月22日を新暦に引き直した11月3日が「文化の日」とされて、昭和天皇の誕生日・4月29日は「昭和の日」とされています。
この流れを見ると今後も天皇陛下が退位されて新しい元号になる度に祝日が増えるようにも感じますが、この限りではありません。新天皇が即位すれば新天皇の誕生日に祝日を動かす決まりはありますが、以前の祝日をそのまま残す事とは異なります。
明治天皇が亡くなった際、祝日は一旦廃止されました。国民から日本の近代化に貢献した功績をたたえるために祝日として復活させようとする運動が起こり、明治節という祝日ができた流れです。戦後に国民と天皇のつながりを断つ目的から明治節は再び廃止、文化の日と名称を変えて残っています。
昭和天皇の誕生日は、ゴールデンウィークの一角をなす事から祝日として残したいという動きが出て、みどりの日とされました。生物学者で自然を愛した昭和天皇を偲ぶ日として、つけられた名称です。2007年には昭和の日と名称が変更になり、みどりの日は5月4日に移されます。このように明治天皇、昭和天皇の誕生日が残っている背景にはしっかりとした理由があります。
天皇誕生日の一般参賀について
そもそも一般参賀とは?
一般参賀とは、新年と天皇誕生日に行われる皇室行事の1つです。皇居の中に民間人が入って、皇族の方々にお目にかかる事ができる貴重な機会とされています。天皇誕生日一般参賀のスケジュールは、宮内庁のホームページにて公開されます。2017年度は、午前の参賀に天皇皇后両陛下や皇太子同妃両殿下、秋篠宮同妃両殿下、眞子内親王殿下がお出ましになり、午後の参賀では宮殿にて恒例の祝賀行事が行われるため、記帳所にて記帳もしくは名刺をお渡しするという内容になります。
一般参賀の基本マナー
皇族の方と間近に対面することになるため、入門前に手荷物検査が行われます。ゆとりを持って出掛けないとお出ましになる時間に間に合わないことも想定されますので、スケジュールを調べたうえで、早めに現地に出向きましょう。大きな手荷物、キャリーバッグなどを持っていくと参入門の外で預ける事になる可能性もありますから、身軽なスタイルがよいでしょう。
危険なものを持っている方、ドローンや旗ざおによって行事を妨げる恐れがある方の入門は許されません。三脚や自己撮影用器具を使った映像撮影も禁止ですので、最低限の荷物にまとめましょう。服装にはとくに制限はありませんが、カジュアルすぎるものは控えるのがマナーと言えます。一般参賀にはたくさんの人が集まるため歩きやすい靴が望ましく、サンダルやハイヒールは避けてください。
天皇誕生日の祝賀行事
一般参賀以外には、祝賀の儀・宴会の儀・茶会の儀を行います。祝賀の儀には皇太子殿下や皇族の方々、内閣総理大臣と衆参両院の議長などが参加、天皇陛下をお祝いします。宴会の儀とは、政治家や司法機関の要人、各界の著名人などから選出された代表者とその配偶者を招いて行う宴会で、参加者から改めて祝賀をお受けになります。
茶会の儀とは、諸外国からのお客さまをお迎えして、祝賀をお受けになる行事です。一般参賀を行う日の午後はこれらの恒例行事を行っていますので、一般の方に対するお目見えはありません。午後は16時に閉門される決まりですから、基本的なマナーをしっかり守り、安全面に配慮した上で参賀するようにしましょう。
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