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海の日とはどのような日?
七月(文月)
 

海の日とはどのような日?

本格的な夏の季節の到来を感じさせる祝日、それが海の日ではないでしょうか。地域によっては、海開きを3連休の初日にあたる海の日に合わせているところもあります。そのような海の日の由来などをこのページでは紹介しています。

海の日の由来と日付

海の日の日付の変遷

海の日は、国民の祝日に関する法律によって定められた休日です。現在は、海の日は7月の第3月曜日になっています。しかし、以前の日付は違いました。国民の祝日として14番目に加えられた当初は、「国民の祝日に関する法律」の一部改正法で1996年(平成8年)1月の施行から、7月20日が海の日として休日になっていました。
しかし、2003年(平成15年)にハッピーマンデー制度の適用を受けて、7月の第3月曜日と現行の日付に改められています。ハッピーマンデー制度とは、週休2日制が浸透してきたことを受けて、考えられた制度とされています。月曜日を休日にすることで、土曜日と日曜日と月曜日の3連休の余暇を作り出すことが主旨となっています。海の日のほかにも、成人の日(元は1月15日)や敬老の日(元は9月15日)、体育の日(元は11月3日)がそれぞれ月曜日に移動しています。

海の記念日だった海の日

海の日は、元々は7月20日でしたが、どうして第3月曜日に変更になったのかというと、1941年(昭和16年)から7月20日は海の記念日という記念日だったからです。海の記念日が定められた理由には、海洋国家として海運(旅客、貨物問わず海上輸送のこと)をいかに大切にしなくてはいけないかということを再確認する目的があったといいます。また、7月20日が選ばれた理由には、明治天皇が1876年(明治9年)に東北・北海道巡幸に出たことが関係しています。この巡幸では、軍艦でなく明治丸という灯台巡察船で、青森から函館を経由して横浜まで移動されました。そして横浜に安着された日が7月20日で、その日が海の記念日となっています。
なお、このように元々記念日だったことにより、旅行やレジャーなどの消費を誘発して経済効果を狙うべく3連休の余暇を創出するために、国民の祝日である海の日が理由のある7月20日から、特に謂れのない日付になることへの反対意見も存在しているようです。

海の日をどうやって過ごす?

海の日に知る海水浴の歴史

やはり、名前に海という文字がありますから、海の日にどこかにお出かけをするなら、海関連のレジャーで過ごそうと考える方が多いのではないでしょうか。そして海関連のレジャーで一番メジャーなのは、海水浴だと思われます。そこで、日本における海水浴の歴史について、簡単に紹介しましょう。元々、禊(みそぎ)という慣わしで、水につかって穢れを落として身を清める風習がありました。鎌倉時代には病気の治療のため、健康の増進のために、海で沐浴することもあったようです。しかし、いずれも海に入ることはあっても、レジャー目的ではありません。現代に通じるようなレジャー目的の海水浴が日本に初めて芽生えたのは、1884年(明治17年)以降からと伝わります。当時、由比ケ浜、鵠沼、大磯といった相模湾沿岸に海水浴場が次々と開設されました。最初は上流階級の日本人ばかりだったようで、また海水浴の目的は未だ病気の治療でした。しかし、開通した東海道線の存在もあり、一般の人達もこぞって海水浴を行うようになりました。特に大磯の海水浴場は、停車場から歩いていける距離というのもあって大盛況だったといいます。そして、海水浴の庶民化が進むうちに、治療目的から遊泳目的と海水浴は余暇を楽しむものとしての現在のように変わっていきました。また、一足先に余暇として海水浴を楽しむようになっていた外国人居留地の外国人達の姿の影響もあったようです。
それから1世紀以上が経った今日では、日本には千箇所以上の海水浴場があるそうです。レジャーとして、近年は海外リゾート地も身近になり人気ですが、海の日は国内の海水浴場で過ごしてみてはいかがでしょうか。

海の日ならではの船の話

国民の祝日に関する法律によると海の日の趣旨は、「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」ということになっています。そこで、海の日の趣旨に沿った、少しばかり真面目な海の日の過ごし方も悪くないかもしれません。まず、海の記念日に関わる明治丸があります。明治丸は国の重要文化財として現存していて、東京海洋大学越中島キャンパス内(東京都江東区、資料館も併設)に展示されています。来歴その他、詳しくは開館日と時間を調べて実際に見学していただくとして、どのような船かかいつまむと明治天皇が巡幸で座乗されただけでなく、小笠原諸島の領有権確定、関東大震災、東京大空襲での被災者の救援に活躍し、係留練習船として多くの船乗りの育成に貢献したといいます。
古い歴史のある船の展示といえば、明治丸のほかに、神奈川県横須賀市の三笠公園に展示してある日露戦争での連合艦隊旗艦だった三笠の見学も良いかもしれません。日本海海戦で、ロシア帝国のバルチック艦隊を丁字戦法で破ったときの東郷平八郎司令長官が座乗した当時の戦艦です。この海戦の勝利がヨーロッパの大国ロシアの戦争継続の意思を挫き、日本優位の戦争終結をもたらしたといわれています。また、第二次世界大戦での敗戦後の混乱から現在の記念艦になるまでの悲喜こもごもにも、当時の日本の辿った歴史が反映されているでしょう。
ちなみにどちらの船もイギリスの造船メーカーから購入した船です。それが、往時の勢いは失われたとはいえ、日本の造船業界の世界に占めるシェアは3位です。外国に船を注文しなくてはならない側から、注文を受ける側へとなったわけです。こうした変化に思いを馳せつつ、「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う」という趣旨をかみ締めてみるのも、海の日の過ごし方として一興かもしれません。
また、このほかにも神奈川県横浜市の日本丸メモリアルパークの、帆船日本丸・横浜みなと博物館などもあります。海水浴などのマリンレジャ−とは違う過ごし方がしたいときには、いかがでしょうか。