『大きな湯飲み』入賞作品1-720-002 グランプリ 大西 賢様
高校三年生の夏休みに、私は自宅のある東京から鹿児島まで、自転車で行くという冒険に出た。
出発してから三週間ほど経った頃、私は広島県の小さな町にいた。それまでは無人駅などで寝ていたのだが、この日は宿に泊まりたかった。
「この辺に安い民宿などはありませんか?」
通りがかりのおじさんに訊くと、この辺に宿はないという。
「東京から走って来た」というと、おじさんは大いに驚き、
「うちに一晩泊まっていきなさい」
と言ってくれた。
すでに夕方であり、宿のありそうな大きな町まで行く時間はなかった。私はおじさんの好意に甘えることにした。
「何もないけど……」
と出された夕食はたいそう豪華で、東京からペダルを踏んで広島まで来た少年のために、おばさんが腕をふるったことは明らかだった。
翌朝も、朝ご飯をたらふく食べさせてくれたうえ、お弁当まで持たせてくれた。
「くれぐれも気を付けて行くんだよ」
二人はずっと手を振って見送ってくれた。
五十日近い旅を終え、無事、自宅に帰った。私は、あのおじさんたちに贈り物をしようと思った。大変お世話になったのだ。デパートでタオルの詰め合わせを買い、送った。
すると、一週間ほどして、あのおじさんから私宛に贈り物が届いた。包みを開けてみると、大きな湯飲みが三つ入っていて、手紙も同封されていた。
私が無事に帰ったことに安心したと書かれていたが、そのあとに、こんなことが書かれていた。
〈大事な息子さんが一人で自転車旅行に出たのです。お父様もお母様も、大変な心配をされたことでしょう〉
愚かなことに、出発してから帰宅するまで、私は両親の心配を考えたことがなかった。高校生の息子が自転車で一人旅をする。両親としては文字通り、大変な心配をしたことだろう。
「冒険心を満たすこと」や「夏休みの充実」ばかりを考えていて、私は両親の気苦労に想いを馳せていなかった。
〈十七歳の少年にしか出来ない出逢いもあったことでしょう。十七歳の少年にしか感じられない出来事もあったでしょう。それらをぜひ、ご両親にお話ししてあげて下さい。思い出話をたくさん出来るように、大きめの湯飲みを送らせて頂きます。
湯飲みのお茶を時間をかけて飲みながら、あなたが体験したことを思う存分お話ししてあげて下さい。それがご両親への感謝になると思います〉
……三つ並んだ大きな湯飲みを見ながら、十七歳の私は深々と頭を下げた。
あれから二十年以上が経つが、あの三つの湯飲みは今でも現役で、私と両親との交流を繋いでいる。
大きな湯飲みは、あのご夫婦の大いなる優しさを表しているようだ。
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