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太陰太陽暦とは?
太陰太陽暦
 

太陰太陽暦とは?

太陰太陽暦は日本でかつて使われていた暦のことです。現代の生活ではもうあまり耳にすることも少なくなったかもしれませんが、旧暦とも呼ばれています。古い暦ですが、古代に導入されてから明治時代にいたるまで、千年と少しという長期間にわたって使用されています。それだけに日本の暦の上での伝統行事に深く関わっています。日本の伝統を知る上で、大陰太陽暦は欠かせないのではないでしょうか。このページではそのような太陰太陽暦について、どのような暦を太陰太陽暦というのか、また日本でどのように扱われてきたのかなどを紹介しています。

古代日本が導入し、明治まで用いた太陰太陽暦

古代中国で開発され日本など周辺地域へ広まった太陰太陽暦

明治時代に現在の暦に変わるまで、かつての日本で使われていた太陰太陽暦は、太陰暦と太陽暦を組み合わせたようなものです。太陰暦は月の運行を基に作られた暦で、太陽暦は太陽の運行を基に作られたものです。太陰太陽暦では、ひと月は月の満ち欠けに従って決め、一年の長さは太陽に従い閏月を挿入して調整します。現代の日本で使用されているのはグレゴリオ暦に基づく太陽暦で、カタカナの名前から察せられるように西洋で作られた暦法です。もうひとつの太陰暦はほぼイスラム圏でのみ、宗教行事に際して使用されているようです。
この太陽の動きと月の動き、このふたつを基に組み合わせた太陰太陽暦は、それぞれの時代地域で差異がありつつも西洋でも東洋でも使用されていました。古くはメソポタミア文明でも使用されていましたし、古代ローマでも太陰太陽暦が用いられていました。東アジアでは古代中国で作成された太陰太陽暦に基づく暦が用いられました。日本でも6世紀頃に元嘉暦(げんかれき)という暦をそのまま導入しています。そして859年に伝わった唐の宣明暦を最後に、江戸時代の半ばに差し掛かるまで同じ暦を使い続けていました。その間、中国の歴代王朝では幾度も暦の変更が行われています。

17世紀末の渋川春海による初めての日本の暦

現在は、一部を除いて太陽暦が全世界的に使用されていることが示しているように、暦としての利便性は太陽暦に軍配があがるようです。太陰太陽暦は月の満ち欠けでひと月をきめていて、一年の日数のずれが大きくなります。そうした弊害が無視できなくなったのか、江戸時代に入ると約800年間使われ続けた宣明暦が改暦されました。
1685年に天文学者、渋川春海(はるみ)によって編纂された貞享(じょうきょう)暦がそれです。この貞享暦は日本が初めて独自に作った暦になります。その後、宝暦、寛政、天保の年間に改暦が行われています。最後の天保暦は、これまでの中国の暦法に加えて西洋の天文学や暦法の知識も用いたため、太陰太陽暦としてはもっとも完成度が高いともいわれています。明治時代に入ってグレゴリオ暦が導入されるまで、1844年から使用されました。この天保暦が狭義の旧暦と呼ばれるものです。

太陰太陽暦とはどのようなものか?

月の満ち欠けで一ヵ月の長さを決める太陰太陽暦

ここでは、太陰太陽暦の特徴について、もう少し説明しましょう。太陰太陽暦では、先述のように月の満ち欠けがひと月の長さを決めることになります。月の満ち欠けは、地球の周りを回っている月が太陽に面した部分が光り、地球の影になっている部分が暗いことによっておきます。地球の影に完全に入っている状況を新月または朔(さく)といい、上方に弦があることから上弦(じょうげん)の月を経て、まったく地球の影になっていないときを満月または望月といい、下弦(かげん)の月の時期を経て、また新月になります。この周期がおおよそ29.5日となり、一ヵ月となりました。月の満ち欠けは見た目で分りやすく、ひと月の範囲内であれば日数を把握しやすかったかもしれません。

一太陽年とのずれを解消する閏月が太陰太陽暦の特徴

ところで、月が地球を周回しているように、地球も太陽の周りを公転しています。この地球が太陽の周りをちょうど一周すると一年が経ったということになります。これを一太陽年といい約365日となります。対して、月の満ち欠けによるひと月の日数だと12ヵ月が約354日となります。約10日ほどもずれが生まれてしまいます。このずれを解消するために考え出されたのが、ずれが大きくなり過ぎた年には閏月を入れて1年を13ヵ月にする方法になります。
閏月を入れるのは一年の中でズレが大きくなるタイミングでされていました。大体、32ヵ月から33ヵ月にかけてひと月分のズレが出てくるので、その周期で閏月を挿入していたようです。なお、閏月を入れる場所もその都度変化しました。日本などの太陰太陽暦では、1年を24分割した季節区分の二十四節気を利用して閏月を入れました。二十四節気をそれぞれ順に節気と中気とし、中気が月に含まれない時期に閏月を入れていました。ちなみに、閏月は差し込まれた月の前月の前に閏を入れて、閏○月のように呼ばれていました(七月の次に閏月が挿入される場合は、閏七月といった具合です)。
このように太陰太陽暦は、イレギュラーで複雑な操作を必要とするものでした。多くの人達が稲作に従事していた時代に比べ、何事も日時が厳格に定められた現代社会では、やはりシンプルで分りやすい太陽暦が向いているのかもしれません。ただ現在は使われなくなった太陰太陽暦ですが、晦日(みそかび:月末)や十六夜などの言葉にまだ当時の名残りを留めています。