太陽暦とは?
太陽暦とは、太陽の動きをもとにして作られた暦のことです。太陽暦のひとつであるグレゴリオ暦は、現代の日本をはじめ世界中で使われています。明治時代のはじめに改暦されるまで使われていた太陰太陽暦を旧暦というのに対し、新暦と呼ばれることもあります。このページでは太陽暦とはどういうものか、特徴や暦の種類、歴史などを紹介しています。
目次
エジプトのシリウス暦からグレゴリオ暦まで続く太陽暦の歴史
現在使用されている太陽暦の先祖はエジプトのシリウス暦
人が暮らしていくのには、暦の存在が必要です。現代に生きるほとんどの人が、程度の差こそあれ暦という区切りの中で、各々が予定をたてて暮らしています。また「コヨミ」という読みは元々「カヨミ」(日読み)と呼ばれていたといい、日読みには今日という日がどのような日か知ることという意味があります。
また暦の歴史をさかのぼれば、古代エジプトで暦が作られるようになった経緯が有名でしょう。エジプトではナイル川が氾濫するのを利用して農耕が行われていました。この氾濫が起きる時期には規則性があることから、暦が作られるようになったといわれています。ちなみに、このエジプトの暦をシリウス暦といい、現代につながる太陽暦の先祖にあたります。他の地域の文明でも暦が作られていましたが、現在使用されているグレゴリオ暦に繋がるエジプトのシリウス暦は抜きん出た存在だったといっていいかもしれません。
16世紀から現在まで使用されている太陽暦、グレゴリオ暦
エジプトで使われていた太陽暦、シリウス暦は1年を365日としていました。しかし、のちに1年を365.25日と考えるようになり、この考えはエジプトを含む地中海世界を支配するローマに引き継がれるようになりました。紀元前1世紀にエジプトの暦法をローマに導入したのは、共和制から帝政ローマの基礎を作ったユリウス・カエサルです。シーザーの名前の方が通りが良いかもしれません。この導入した人物の名前から古代ローマで使われた暦はユリウス暦と呼ばれます。ちなみに、エジプトから太陽暦を導入する前のローマでは、太陰太陽暦が用いられていました。このユリウス暦では0.25日という端数を閏日を導入することで解消を試みています。しかし、時代が過ぎるにつれ、実際の季節と暦の上の日付に大きなズレが出てきました。
そこで、このユリウス暦をさらに改良したのが、1582年にときのローマ法王グレゴリオ13世によって制定されたグレゴリオ暦です。グレゴリオ暦は1年を約365.2422日として、ユリウス暦に比べて閏日を入れる閏年を入れる日をより細かく調整したため、1日の誤差が生じるのに千年単位の時間が必要になるほど正確なものとなりました。その調整は閏年は4年に1度として、基本的に4で割り切れる西暦年数を閏年としています。しかし、それでも誤差が生じてくるため、下2桁が00で上2桁が4で割り切れない数字の場合を閏年としないとしています。このグレゴリオ暦が、1873年から日本でも導入され現在でも使用されています。
太陽年を基準にした太陽暦とはどのうようなものか
季節のめぐりが1年となる太陽暦
ここで、太陽暦がどのようなものかを簡単に紹介しておきましょう。太陽暦は、太陰暦のような月の満ち欠け、新月から新月を1ヵ月として、それらを重ねて1年とする方法とは違います。太陽の周りを地球が1周することを1年としています。なお、太陽の周りを1周することを地球の公転周期といいます。また、地球は自転する軸が太陽への公転に対して傾いていますから、太陽との位置関係で、北半球が太陽を向いている時期があったり、逆に南半球が太陽を向いている時期があったりします。そのため、日照時間が長くなったり、短くなったりするという現象がおきると同時に、春夏秋冬といった季節の変化になります。日照時間が長い程、太陽の熱を受けるわけですから、北半球が太陽の方を向いているときは日照時間が長くなり、北半球の季節は夏となり、逆に太陽と反対側を向いている南半球は日照時間が短くなって、南半球の季節は冬になります。夏至や冬至など昼や夜がもっとも長い日があるのは、このように地軸の傾きがあるからです。
もし、この傾きが無く垂直だった場合は季節の変化は起きませんし、公転面に対して水平(自転軸が横倒し)なら、一年の内で夏至や冬至といった期間は南北の半球全体が常に昼になったり、夜になったりします。実際の傾きでは極地でのみ起きることです。
太陰太陽暦で用いられた二十四節気は太陽暦的な要素
ところで、暦の話になると二十四節気という言葉を耳にしたことがある方は多いと思います。立春、立夏、立秋、立冬といった季節の変わり目を指す語句や、春分、夏至、秋分、冬至などの昼夜の時間の長さを示すものが二十四節気です。これらは昔からあるものですから、太陽暦とは無関係と思われるかもしれませんが、太陽に対する地球の位置で24に区切られています。つまり、太陰太陽暦が太陰暦に基づいて月の満ち欠けの1ヵ月を積み重ねて1年とすることで、実際の季節とのあいだに生じるずれを太陽暦的要素で修正するものでした。
なお、二十四節気は古代の中国で考え出され、日本に導入されました。なぜ二十四節気で季節を把握する必要があったのかというと、気候の影響を受ける農作業を計画的に進めるためです。エジプトのシリウス暦ができた経緯もそうですが、暦やそれに関する事柄は人々の営みと密接に関連しています。現代の生活では、カレンダーの日付には、無機的にもしくは無味乾燥に過ぎていくような印象もあるかもしれませんが、暦の成り立ちを振り返ってみると、日々の経過にまた違う印象を覚えるかもしれません。
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